壮麗さが際立つ上田宗箇作庭の縮景園

御所・城・大名の庭

縮景園は縮景園は広島藩主・浅野長晟(ながあきら・幸長の弟)が、元和6年から別邸の庭園として築成されたもので、作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇です。「幾多の景勝を聚め縮めて表現したこと」から縮景園の名称になった説や中国杭州の西湖を模して縮景したとも伝えられている。 園の中央に池(濯纓池・たくえいち)を掘って大小10余の島を浮かべ、周囲に山を築き、渓谷、橋、茶室、四阿(あずまや)などが巧妙に配置されそれをつなぐ園路によって回遊する、回遊式池泉庭園です。現在の庭園の原型は京都庭師の清水七郎右衛門による後の大改修によって、形成されたものだそうです。

◆庭園レポート
上田宗箇はこちらの徳島城御殿前庭園を作成した武将で茶人。訪れた日は初冬のお天気が良かった日。明るい空と光あふれる日で濯纓池(たくえいち)への空と木々の写り込みが素晴らしかったです。

紅葉もまだ少し残っていて彩りがありラッキーでした。

跨虹橋と名付けられた、こんもりと丸みを帯びたアーチ橋に目を奪われます。迎暉峰(げいきほう)は園内で一番高い小山で園内を一望できます。
結構アップダウンがあるので景観の切り替わりが楽しめました。立つ場所によって違う景観や様々な趣を味わえるのが回遊式庭園の醍醐味ですね。

亀島、鶴島をはじめとして12個の島があります。小さな島があちこちに点在していて楽しませてくれました。

亀島に亀ちゃんズがひなたぼっこしてました。かわいい。


周りの木々が高いので市中に位置していることはさほど気になりません。全体の真ん中にど~んと池泉があって水が満ちて、艶感のある印象の庭園でした。


◆入園
開園 4月~9月 9:00~18:00
休園 12月29日~31日
開園 10月~3月 9:00~17:00

◆入園料
260円

◆所要時間
40分ほど

◆アクセス
730-0014  広島県広島市中区上幟町2-11  ⇒地図
(1)広島駅から徒歩で15分


◆歴史のこばなし
上田宗箇についてはこちらのこばなしでもご紹介していますが、槍の名手であり数々の武勲のある勇ましい武将でもあった上田宗箇の好んだスタイルはどんな感じだったのでしょうか。

茶の湯は織田信長の「茶の湯御政道(茶の湯を許可制にして「特権を得た者の権利」としていた)」から、豊臣秀吉が許可制を廃止し誰でも楽しんでいいものとしたことから、大名・武将の間で瞬く間に流行します。

上田宗箇の師匠である古田織部も戦国時代の武将ですが、いつ頃から千利休に弟子入りしたのかは不明ですが天正10年頃(本能寺の変の年)から千利休の書簡に織部の名前が登場しています。後世の人々に「利休七哲」と呼ばれる高弟になりました。

古田織部は、師匠の利休が静謐な茶の湯を目指したのに対し、歪んだ大胆な造形の茶器を愛し、躍動感あふれる斬新な茶の湯を目指したようです。

そんな師匠に師事した上田宗箇。上田宗箇のつくった花入れや茶杓はどれも荒々しく豪快さを感じます。武辺者の印象を強く受けます。

縮景園は池泉と起伏・島で構成されており石組みが少ないせいか壮麗さが際立っていたのですが、旧徳島城表御殿庭園では豪快なエネルギー感じさせ、荒々しさの中に一片の潔さや清らかさも受けました。和歌山の粉河寺の石組みもすんごいそうです。行ってみたい~。荒々しく無骨な感じの方が上田宗箇のスタイルには近いのかな?と想像してみるのもまた一興です。


広島市の重要文化財に指定されている上田宗箇が自作したと伝わる「さても」。銘は焼き上がりを見て一言「さてもまあ」と驚いたことからその名がついたんだとか。この荒々しい、血潮のような猛々しさ!

茶室は茶道上田宗箇流の上田流和風堂には、師の古田織部の茶室をモデルに上田宗箇が作成した「遠鐘」の復元茶室があるそうです。一般公開などはされていませんが、写真で佇まいなどを見ることができるようです。

ikeda

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日本庭園(特に古庭園)と歴史が好き。歴史のアレコレを調べるのと庭巡りがライフワークの管理人が発信するブログです。

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