桃山式の優美な回遊式庭園 水前寺成趣園
水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)は熊本県熊本市中央区にある大名庭園です。細川忠利(忠興の子)が渾々と清水が湧くこの地を気に入り御茶屋として作事されたのが始まり。優美な回遊式庭園です。築山や浮石、芝生、松などの植木…
水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)は熊本県熊本市中央区にある大名庭園です。細川忠利(忠興の子)が渾々と清水が湧くこの地を気に入り御茶屋として作事されたのが始まり。優美な回遊式庭園です。築山や浮石、芝生、松などの植木…
かつて本阿弥光悦が開いた芸術村があった洛北鷹峯東方(らくほくたかがみねとうほう)の地に構えられた山荘、太閤山荘は戦前に生糸で財をなした川村湖峯の本宅として建築された数奇屋建築です。使用されている木材から庭石に至るまで贅を…
和歌山城は豊臣秀吉が紀州征伐(紀州攻めについてはこちらの歴史のこばなしをご覧ください)をし、無事平定した後に秀吉の命で紀伊・和泉を新たに所領とした豊臣秀長が建てたお城です。 その後、豊臣秀長の家老であった桑山重晴が城主と…
臨済宗・天龍寺派、等持院は1341年に足利尊氏が夢窓疎石を開山に迎えて衣笠山の南麓に創建されました。のちに尊氏・義詮将軍の時代に幕府の地にあった等持寺も移されて、足利将軍家の菩提寺となりました。応仁の乱などの戦火に見舞わ…
西本願寺の境内にある庭園・滴翠園(てきすいえん)には飛雲閣(ひうんかく)という建築物があります。 金閣、銀閣とともに京都三名閣の一つだそうです。 豊臣秀吉が建てた聚楽第(じゅらくだい)の一部ともいわれており、三層からなる…
龍吟庵は臨済宗東福寺の塔頭。東福寺の第三世住持の大明国師の住居跡です。方丈は室町時代初期につくられたもので、応仁の乱以前の古制を残す日本最古の方丈建築。書院造と寝殿造の手法が融合した名建築だそうです。 ◆庭園レポート 龍…
雲龍院は、南北朝時代の北朝第4代天皇の後光厳天皇の勅願で応安5年(1372年)に作られたお寺です。真言宗泉涌寺派の別格本山とされています。京都の寺院で「迷いの窓」と「悟りの窓」がある寺院はこの雲龍院と源光庵にしかありませ…
臨済宗相国寺派の大本山である相国寺は、京都五山第二位に列せられる名刹です(⇒五山についてはこちら)。室町幕府三代将軍の足利義満により創建されました。幾度も焼失と復興の歴史を繰り返しましたが、現存する法堂は日本最古の法堂建…
平安期、境内から病気に効く香水がわき出たので清和天皇からこの名を賜ったといいます。 桃山期の特色ある建築物のうち表門や極彩色彫刻の本殿は重文指定されています。とても鮮やかで美しく見ごたえがあります。神功皇后(じんぐうこう…
縮景園は縮景園は広島藩主・浅野長晟(ながあきら・幸長の弟)が、元和6年から別邸の庭園として築成されたもので、作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇です。「幾多の景勝を聚め縮めて表現したこと」から縮景園の名称になった説や…
高野山は平安時代のはじめに弘法大師・空海によって開かれた真言宗の聖地です。 「金剛峯寺(こんごうぶじ)」という名称は、お大師さまが『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経より名付…
蘆山寺(ろさんじ)は比叡山天台18世座主元三大師良源によって天慶年中(938年~947年)に創建されました。紫式部が源氏物語を執筆した地としても有名です。 ◆庭園レポート 平安朝の庭の「感」を表現した白砂と苔の庭園があり…
実相院は元天台宗の寺門派(天台宗には山門派と寺門派がある)の単立寺院。実相院は岩倉門跡とも呼ばれています。 ◆庭園レポート 裏山を背にした池泉庭園は真夏の太陽を浴びて、キランキランに輝いていました。どこか豪胆でダイナミッ…
青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)は、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つとして古くより知られ、現在は天台宗の京都五箇室門跡の一つに数えられている寺院です。 ◆庭園レポート 青蓮院の庭は池泉回遊式庭園です。相阿弥の作…
平清盛の寵愛を受けた白拍子(しらびょうし※平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した歌いながら舞う演者のこと)の祇王が、清盛が他の白拍子の仏御前に心変わりしたことにより都を追われるように去り、母と妹とともに出家・入寺した悲…