枯山水と池泉が一体の珍しい庭園、見どころいっぱい永観堂禅林寺

仏教の庭

永観堂禅林寺は863年に創建され、鎌倉時代真言宗から法然上人に帰依して浄土宗のお寺になりました。

◆庭園レポート
永観堂の庭園は釈迦堂(方丈)を囲むように三つあります。まず一つ目は北側の緑豊かな池泉庭園。回廊から池泉を鑑賞することができます。

西側の唐門と釈迦堂の間には市松模様の盛砂があります。この唐門は天皇の使いの勅使が出入りするときに使われた門で、足を清めるための盛砂が作られ、勅使はここで足を清めて中に進みました。

南庭には枯山水と小さな池泉が融合した珍しい構成の庭園があります。左側は枯山水、右側は池泉庭園。それがうまく合わさってなんともいえない味わいです。枯山水は割と小さな石を使用しこじんまりとした感じで組んであります。白砂と緑のコントラストと、清らかな水の池泉が清明さを感じさせくれます。

また永観堂には臥龍廊と呼ばれる廊下があります。山の斜面にそって巧みに木材を組み合わせてつくられた廊下。まるで龍の身体の中を歩いているような気分が味わえるとのこと。わりと傾斜がきついので足元注意です。

写真撮影は禁止ですが、長谷川等伯の竹虎図も見れますよ~

画像引用元:永観堂禅林寺

境内には、いくつかの池や川があり最高の景色を楽しめます。

放生池

寿橋からの眺め。なんと涼やかな!

古建築も庭園も襖絵も楽しめるみどころがたくさんの永観堂でした。満足!


◆拝観
午前9時~午後5時(受付は午後4時で終了)

◆拝観料
600円

◆所要時間
40分ほど

◆アクセス
京都府京都市左京区永観堂町48 ⇒地図
JR京都駅から市バスで30分
地下鉄東西線 蹴上駅から徒歩で15分


◆歴史のこばなし
真言密教の寺院として由緒があった禅林寺。鎌倉時代に住職となった静遍僧都は高名な真言宗の僧侶でした。同じく鎌倉時代の僧、法然が起こした新しい宗派、浄土宗の「念仏を唱えるだけで救われる」という教えに反発をおぼえ、真言宗の自分の正当性を証明しようと法然の著書を読みました。しかし、いくら読み込んでも「もしかして間違えてるのは自分なのでは」と思い至り、ついに静遍僧都は法然上人に帰依します。そして法然の高弟であった証空上人を次の住職として招いたとのことです。

このように鎌倉時代に生まれた浄土宗、浄土真宗、時宗、法華宗、臨済宗、曹洞宗の6つの宗派を鎌倉仏教と呼びます。

日本では仏教伝来以降、仏教は鎮護国家のためのものとして国を守るためのものでした。奈良時代には仏教研究集団として南都六宗が台頭、政治へもぐいぐい干渉しました。南都六宗の影響力が強くなりすぎたため、桓武天皇はそれを抑えるために新たな宗派の誕生を支援。そうして生まれたのが天台宗(比叡山・最澄が開いた)と真言宗(高野山・空海が開いた)です。この2つは平安仏教と呼ばれています。しかし天台宗も真言宗もやはり鎮護国家、貴族仏教の枠から出ることはありませんでした。

平安時代末期~鎌倉時代は大きな動乱の時代。日本で初めて武家政権が誕生。これにより新興の武士や農民たち一般庶民の求めに応じるように国や貴族のための仏教ではなく、民の救済のための新たな仏教が生まれました。これが鎌倉仏教です。

とはいえ、鎌倉仏教の始祖たちは天台宗・比叡山で修行したのち、各々の宗派を開きました。鎌倉仏教の特長の比較は以下の通りです。

宗派 開祖 教え 支持層 本山
浄土宗 法然 難しい教義を知ることも、苦しい修行も、造寺・造塔・造仏も必要ない。ひたすらに「南無阿弥陀仏」を唱えることが大切だという教え。 公家・武士・
庶民
知恩院
浄土真宗 親鸞 師である法然の教えを継承、展開、深化させる。一念発起(一度信心をおこして念仏を唱えれば、ただちに往生が決定する)や悪人正機説(救いようのない悪人こそ救われる)などの教え。 武士・農民 西本願寺
東本願寺
時宗 一遍 全国を遊行しながら、賦算(念仏を記した札を配り、受けとった者を往生させる)する。男女の区別や浄・不浄、信心の有無さえ問わず、万人は念仏を唱えれば救われるという教え。踊念仏が有名。 武士・農民 清浄光寺
法華宗 日蓮 法華経こそが唯一の釈迦の教えととく。その他の経典は誤りの法であるとして、題目(「南無妙法蓮華経」)唱和により救われると説く。辻説法で布教した。他の宗派に喧嘩を売りまくる激しさも有名。 武士・商工業者 久遠寺
臨済宗 栄西 坐禅を組み師の与える問題を1つ1つ解決しながら(公案問答)、悟りに到達するという教え。政治に通じ鎌倉および室町幕府の保護を受ける。 公家・
幕府や地方の有力武士
建仁寺
建長寺
曹洞宗 道元 ただひたすら坐禅を組むこと(只管打坐)で悟りにいたることを主眼とし、世俗に交わらずに厳しい修行をおこない、政治権力に接近しないことを教えとした。 武士・農民 永平寺

臨済宗と曹洞宗は中国から渡ってきた禅宗ですが、法然・親鸞・日蓮は比叡山で修行し、一遍も天台宗で修行をしています。新仏教の開祖4人が旧仏教に身をもってしてもなお、民の救済の道が開けんと思い至り、興したのが鎌倉仏教です。

現代では新興宗教は怪しいとされ敬遠されていますが、鎌倉仏教も新興当時はとてつもない弾圧を旧勢力から受けました。法然と親鸞は島流しに、日蓮も島流しに遭います。それでも廃れることなく、今でもその開祖の教えが現代にも説かれています。よほど人々が求めた救いや願いに合致していたんでしょうね、鎌倉仏教の底知れなさを感じます。

ikeda

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日本庭園(特に古庭園)と歴史が好き。歴史のアレコレを調べるのと庭巡りがライフワークの管理人が発信するブログです。

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