つややかな光の反射の幻想的な世界 瑠璃光院
瑠璃光院のある「八瀬」の地は、「矢背」とも記されます。壬申の乱で背中に矢傷を負った大海人(おおあまの)皇子(のちの天武天皇)が「八瀬の釜風呂」で傷を癒されてより、平安貴族や武士たちに「やすらぎ」の郷として愛された場所だそ…
瑠璃光院のある「八瀬」の地は、「矢背」とも記されます。壬申の乱で背中に矢傷を負った大海人(おおあまの)皇子(のちの天武天皇)が「八瀬の釜風呂」で傷を癒されてより、平安貴族や武士たちに「やすらぎ」の郷として愛された場所だそ…
日蓮宗・本圀寺(ほんこくじ)の元塔頭である真如院(しんにょいん)。永禄年間に足利義昭が入洛した際、織田信長が真如院で迎えたと伝えられています。 瓜実灯籠・烏帽子石・呼子の手水鉢がある枯山水庭園は信長が義昭のために作庭させ…
観智院は東寺真言宗・東寺の塔頭の一つ。真言密教の経典が多数所蔵された真言宗の勧学院、大学の研究室のような立ち位置で、観智院からは多くの学僧が輩出されています。 ◆庭園レポート そんな観智院には二つの庭園があります。真言密…
蓮華寺は天台宗のお寺。江戸初期に加賀藩の家老今枝近義が洛中から移し再興されました。本堂前に六角形急勾配の笠をつけた蓮華寺型石灯籠があります。 ◆庭園レポート 庭園は池泉廻遊式で石川丈山の作であるとも伝えられているようです…
三千院は伝教大師最澄が比叡山、東塔南谷の山梨の大木の下に一宇を構えたことに始まります。その後、慈覚大師円仁に引き継がれ平安後期以降、皇子皇族が住持する宮門跡となりました。寺地は時代の流れの中で、比叡山内から近江坂本、そし…
三千院の参道奥に位置する実光院は、魚山大原寺勝林院の子院です。実光院は魚山大原寺勝林院(ぎょざんたいげんじしょうりんいん)を本堂に頂く僧坊の一つで、応永年間(1394~1428)に宗信法印によって復興されました。 実光院…
宝泉院は勝林院住職の坊として平安末期からの歴史があります。天台宗を開いた最澄の高弟・円仁が唐の仏教修行を終え、日本に帰ってきた時に密教、五会念仏など法要儀式に用いる仏教音楽「声明」を伝えました。その後、寂源は大原寺(勝林…
曼殊院の歴史はとても古く、延暦年間(728~806)伝教大師最澄により、鎮護国家の道場として比叡の地に創建されたのが曼殊院のはじまりです。 天仁年間(1108~10)八代忠尋大僧正が寺号を「曼殊院」と改め、北山に別院を建…
當麻寺は奈良の二上山のふもとに位置する古寺名刹で、中将姫の當麻曼荼羅や天平時代の両塔・日本最古の梵鐘や石灯籠などで有名です。 當麻寺の塔頭である奥院は浄土宗総本山知恩院の「奥之院」として創建されました。浄土宗の大和本山と…
1052年、藤原頼通が父・道長より譲り受けた別業を仏寺に改め平等院としました。この年は末法初年に当たるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していました。末法思想について…
醍醐寺の創建は874年、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が開山、聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と名付けたことが起こりです。真言宗の寺院です。 醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの修験者の霊場として発展した…
四天王寺は日本最初の仏法の寺といわれ、推古天皇元年(593)に建立されました。物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り「この戦いに勝利したら、四天王を…